長いトンネル


入睡困難や早朝覚醒など、

睡眠障害が続くとメンヘラが加速する。


不安感が大きくなる。

日中は寝不足で吐き気など具合が悪い。


他人には迷惑かけたくない。

いつも人の目を気にして、他人の些細な言動一つ一つに対して過敏である。


「明るいうつ」という言葉を見つける。

自分も似たようなところがある。

憂鬱感をさとられたくない。

根本には孤独がある。

うまく人間と付き合えない。

丁度いい距離感とか、

相手の気持ちを考えるとか、

そういうのあまり得意じゃないかも。

発達障害ではないらしい。

Wais-Ⅲは受けたことがある。

「あなたは他人のことを尊重できる人ですよ」みたいなことを言われたと思う。

でも小さい頃から変わった人間だと言われてきたと思う。

「天才肌」だとか、そういったふんわりした綺麗な言葉を使って。

どうなんだろうな。



しっかりしたい。

一人でも大丈夫になりたい。

なんだかとても、しんどいんだ。

しんどい気持ちをどうしたらいいか分からない。

他人にぶつけないように、とは思っているけど、無意識に違和感のある言動はとっているだろう。

要因について

本を読むという行為

新しいことを吸収するというよりは、

自分の中の知識を組み合わせる作業。


全て組み合わせなんだろうか。

自分が感じること、思うこと、全て。


それは救いな気もするし残酷な気もする。


胃痛

心理的要因と言われても、

どうしろって言うんだ。

久々の更新


眠れぬ日々がまた続く。

眠れても何度も目が覚めるし、

もはや起きるとか寝るとかそういうことにはうんざりしている。

明日も早いし、朝からぐったりは本当にしんどい。



血糖値上げたら眠くなるだろうかと

こんな真夜中に焼きそばを作る。

作るといってもチンするだけなんだけど。

胃に負担がかかるのは言うまでもない。



そりゃあ安らぎは欲しいけど、

そんなに簡単に手に入るものじゃない。

それだけは分かってる。

でもしんどさの先に何があるんだろう。

先は真っ暗だ。

完全によっている

最近ワインばかり飲んでいる。

飲みすぎたのかもしれない、

途中でこのブログを更新してしまったくらいには。

正しいことをしたからといって、

自分にプラスになるわけではない。

正義は自分のためではない。

でも正しいことしてないと罪悪感でコロされるだけには人生に不器用だ。

これから生きていける気がしない。

人並みの幸せは私に訪れない。

まあそれはどうでもいいんだけど、

自分が生きてていいのか分からなくなるくらいには病んでいる。

こういうニンゲンを俗に「メンヘラ」という。

私はメンヘラではあるけども、

ファッションメンヘラではない。

ガチメンヘラである。

人前では殆どそんな雰囲気は醸し出さない。

それがガチメンヘラというものだ。

一生こんなんだと思う。

死にたくても、死にたいなんて口にしない。

聞いた人が不愉快になるかもしれないから。

でも死んでもいいじゃん。

私は、飛行機で隣のスーツ男に2時間毎に渡りナンパされるくらいしか価値がないのだ。

梅田でやたら話しかけてくる男とか、

コンビニバイト700円でくじ1回のフェアの際あたったものをやたらプレゼントしてくる男にしか(私は過去コンビニバイトしていた)、

価値がある(しかも良くない価値である。)と思われない人間なのだ。

ニンゲンなんて苦手だ。

色々と難しすぎる。

来世は気体になりたい

ここ約2週間、

ほぼ毎日アルコールに頼り、

眠りについている。

よくないなぁとは思いながらも、

のまずに眠ることが難しい。

午前中は精神衛生が悪く寝ていることが多い。

早起きすれば早寝になるかというと

そうでもないし、

日中のしんどさが増すだけだ。

台風が近づいてきているらしい。

灰色の空だ。

飛行機とびますように。


寝違えた首がまだ痛い。

湿布は祖父母の家のにおいがする。


フラカンの「深夜高速」を聴いて、

ますます鬱が加速する。

美術館やカフェに行った話

抑うつ状態も少し良くなり、

美術館やカフェなどに行ってみた。

ゴッホの自画像に(やっぱすごいなぁ)と思ったり。



ゴッホうつ病であったのはあまり有名な話ではあるけど、

多くの場合精神疾患になるとクリエイティヴィティーは失われるもので、

だからこそ(やっぱすごいなぁ)となる。

詳しいことはよく分からないけど、

精神分析学的には、ゴッホ自身の悲しみを表現した絵画が多いとのこと。

一本の糸松が描かれれば、表すのは彼自身の孤独であったり、

風景画の真ん中に夫婦が歩いていれば、それは彼の叶わない恋愛への想いが、ある意味理想的に、そして絶望的に描写されていたりする。

不幸を創作へのエネルギーにする、という話で思い出したが、

私が中学時代にハマった作家(ラノベ作家とも言うべきか…)

乙一も、不幸をエネルギーにするタイプのひとだったなぁと思う。

彼の作品は彼が結婚してから面白くなくなったし、新作発表も遅くなった。

そんなこんなで、もう興味なんてなくなってしまった。(ごめんなさい。)


なんだろう。
幸せを描く作品よりも、不幸の人が自身の感じてきたものから創るモノのほうが私は価値があると思ってしまうのだ。

苦労人は偉いとか、そういう話ではない。自身をシーシュポスに例えて、ある種のナルシシズムを抱くからかもしれない。

いや、分からない。何にしろ私は薄っぺらい人間です。もっと沢山学んで考えねばならぬ。

価値観の違い

一般に、

類は友を呼ぶ

と言う。

しかしだからといって

家族が似た者同士であるわけではないと思う。


私の父親と私の価値観は遠くない。

しかし母親と私はかなり違う。

彼女は軽い気持ちで

「あんたが死んだら生命保険から1000万おりるんだから」

とか言ってしまうし(悪気は多分そんなにない)、

私が帰省すると

9割がた私は彼女の話の聞き役になり、

彼女の職場の同僚の陰口や、

私の妹を責めるような言葉を

永遠と聞かされる。


以前父親が仕事のプレッシャーで

眠れなくなったり、

円形脱毛症になったときだって、

「お母さんはああいうの全く分からないわ」と

まともに取り合わなかった。

なお歩み寄る気もないらしい。


昔からそんな人なのだ。




帰省すればゆっくりできるのではないかと

カウンセラーの方などに言われるが、

まさかそんなことはない。


20年近く育ててもらったことには感謝しているし、

親が年をとったら、

すぐ駆けつけられるようにとは思うが、

同棲したいとは思わない。

こちらが先に疲れ果ててしまう。